FOREVER新十津川駅
忙しさにかまけてブログすら放置するという有様でした。
みなさん、いかがお過ごしですか。新特急なすのでございます。
さて、今回は去る10月10日(旧体育の日(現名称スポーツの日))に開催された「新十津川駅89周年記念祭」について書きたいと思います。
もちろん、このイベントを自ら知り得た訳ではなく、叡電デナ22さん(以下「デナさん」と略)のお誘いで参加に至ったという訳。「そんなんでよく鉄道ファンやってられますなぁ」と言われかねないレベルですw
そんな訳で、イベントに間に合いそうな列車時刻を調べてみると、札幌を7時ちょうどに出発する滝川行き普通2125M(721系3両)しかなかったため、それに乗ることにしました。これに乗ると、終着・滝川には836着なので、余裕でイベントに間に合いますが、その次となると岩見沢940発滝川行き普通925D(トマ属2両)まで普通列車はなく、これだと滝川1035着なので10時開始に間に合わない。D車運用は、H100形がデビューしたことにより、より魅力的になったキハ40や150が充てられるため乗りたかったんですがね。でも、間に合わないとなると話は別。
乗車する2125Mは岩見沢745着ですが、特急宗谷を先行させるため13分停車するダイヤになっています。定刻通り宗谷が入線し、定刻通り稚内へと出発していきました。ちなみに、この日の宗谷は通常の4両編成で、前2両の側面表示器がフルカラーLEDタイプ、後2両が従来の幕式でした。あんまし人の乗らない特急列車には、こんなチグハグな扱いしかできないんでしょうかねぇ…単にお金がないからかもしれませんが。
先に言っておきますが、実は行きも帰りもF-3021編成でしたw
さて、滝川駅からは中央バス・滝新線(滝の川団地⇔滝川駅前⇔青葉6条通⇔新十津川役場)に乗車しますが、バスが来るまで30分ほどあったので駅前ビル周辺をぐるっと回って、駅へ戻ってくると…
キハ40流氷の恵み号が1番線に。
「富良野方面乗車口」の標識と側面。
前面より。多少切れちゃってますが、お気になさらず…
そんなこんなで、あっという間に30分は過ぎ、バスがやってきました。
新十津川役場到着。若干遅れていたようです。ここから徒歩で新十津川駅へ。やはり、私たち2人含め乗客のほとんどが駅へと移動していきます。駅へ着くと、そこには既に列ができていました。時間が経つに連れその列は長大化。駅の隣に建つ空知中央病院の前を通り過ぎ、チラと最後尾を確認しようとすると確認できないほど長くなっていたようです。このご時世ですので、入場時には検温とアルコール消毒(アルコールがダメな人には別の方法で消毒が行われた模様)をしないと入場できない旨スタッフの方から拡声器で周知が行われました。そして入場開始。私たちは、本来なら廃止を惜しむ記念列車に取り付けられる予定だったヘッドマークの除幕式と一連の引渡式の様子を収めるためにそちらへ。
除幕前のヘッドマーク。しかし、ほとんどの人は「最後の駅弁」が目当てだった模様。町長様にお声をかけて頂き、その後開会を告げる花火が打ち上げられました。駅前では式が開始。新十津川町からは熊田義信町長、JR北海道からは綿貫副社長と高橋総合企画本部地域交通改革部長が出席。高橋部長が司会を務めました。後日、その模様と記念祭の一番最後で行われた駅名板取り外しの模様を収めた動画を作成するのでお待ちください。
除幕後のHMの前に立つ、綿貫副社長と熊田町長。
お二人がはけたあとの様子。これがラストラン時に列車に取り付けられる予定でしたが、それも新型コロナ騒動のおかげで実現せず。某国の大統領氏は未だに「チャイナ・ヴァイルス」と言っていますが…
すると、新十津川町のPRキャラクター「とつかわこめぞー」が登場。プロフィールを覗いてみると、お米の妖精ですが、特技が剣道なんだとか。「悪事には精悍に立ち向かう」「お米の妖精」。すごいですな。でも、めんこい。しゃべる時は語尾に「マイ」を付けるみたいですね。毎週日曜朝8時半からテレ朝系列で好評放送中の、某女の子向けアニメの妖精のようです。メポメポ。
関係者からサボを渡されて記念撮影に臨むこめぞー君。このサボも記念列車に取り付けられる予定でした。
先程のサボを至近で。一度も使われることなかったので、もちろんピッカピカです。描かれているのは、ミズバショウとピンネシリ。ピンネシリはもちろんアイヌ語で「男山」の意味だそうです。
こちらはヘッドマーク。石狩川に流れる小川とその岸辺に咲くミズバショウ、ピンネシリをイメージして描かれたものの麓には札沼線末端区間を走っていたキハ40系400番台が走る姿も描かれています。これらを撮り終えたのち、駅舎内へ。
「札沼線終着駅しんとつかわラストランまであと0日」のミニ黒板。私が以前来た時は333日。あっという間ですね。
終着駅証明書がズラリと並べられていました。こんなにデザインがあったとは知りませんでした。私は、とつかわこめぞーが描かれているデザインのものを持っています。続いて、この日の状態ではラストになるホームへ。
立入禁止の掲示と10月10日のみ立ち入りできる掲示。こんなところがJR北海道らしいなーとデナさんと話していました。
こちらの通路からホーム及び軌道内に入ります。
すっきりとした秋晴れ。こんな情景を撮影できるのもこの日だけ。
レールの上にカメラを載せて札幌方面をパチリ。
かつてつながっていた石狩沼田方面。こんなこと、廃止前だったら違反行為でJRと警察にこってりお灸を据えられる行為ですがw
本当の木の枕木。そして犬釘。
600mの距離標と線路。
ここにかつて踏切があったことを示す道床。まだ石狩沼田まで線路がつながっていた頃から、この踏切は遮断機も警報装置もない第4種踏切だったそうです。現在はこのように道床だけ残されており、ここを車が勢いよく通過していくだけです。
その踏切からかつてつながっていた石狩沼田方面を見た様子。余談ですが、昔、軌道検測員の人は枕木の歩幅で検査してたというらしく、普段歩く時もその歩幅で歩いていたそうな。
「過走余裕距離終端」の標識。
レールで組まれただけの簡素な車止め。
ホームから見た駅舎全景。
既に駅名標が外された枠。それと乗降ドアに関する案内。
ホーム上の76キロ半のキロ程標識。
ホームと鉄道林。
浦臼方面を見る。この先デナさんと2人でザックザック進んでいこうと思いましたが、よ~く見ると雑草だの雑木だのがモジャモジャ生えてたのでやめることにしました。
そしてこれが一番の謎。ガチャガチャのプラスチックケースがたくさん装飾された木。カラスだの何かの「よけ」に使われたものじゃなさそうだし…
ここに昔もう1本鉄路があった名残。これは貨物線のようで、札幌方面へ主に青果物を運んでいたそうです。
新十津川観光案内所「ラストランまであと0日」の看板。「今までありがとう!また来てね!」の文字がより寂しさを感じさせます。
かつての「ラッチ」があった跡。パチンパチン、ときっぷに鋏を入れていたんでしょうね。
「みんなのありがとう札沼線」このうち、かなり見づらいですが、JR東日本の社員の方が制帽を被っている写真もありました。
軽トラをキハ40のようにしたクルマ。確かたこ焼きを販売してたような。それにしても、再現度高すぎます。
ちゃんとATS-Dnのマークもあります。ちなみに「シワ」とは、新十津川駅の電報略号です。
顔ハメパネル。
駅長犬「ララ」のメモリアルコーナー。本来のラストラン日時の5月6日からちょうど1ヶ月後に天国へと旅立ったということです。
パネル・HM・サボを一枚に。
新十津川駅はコチラの標識。もちろんJR所有のものではないので、このあと淡々と撤去されてしまったのかどこかに保存されているのかは定かではないですが…このあと昼食を食べに近くのレストラン「くじら」へと足を運びます。デナさんは、STVの大人気深夜番組「ブギウギ専務」のダムを巡る旅で訪れた際に紹介された「ダムカレー」を、私は「メガ盛りカツカレー」を購入(ともに1000円)。
Σ(゚Д゚;)!!!?
「メガ盛り」とは名ばかりで、そこまでヤバくないだろ…と高をくくってましたが、マジもんのがやってきました(汗)
お腹は空いていましたが、年々胃袋が小さくなってきてるので全部入るかなぁ…と。完食はしましたが、結構な時間を費やしてデナさんを待たせてしまいました。再度駅へと戻って、駅名板取り外しの瞬間を捉えます。
取り外された直後の様子。駅名板とHMをパチリ。
寂しいですね。ほんと寂しい…この瞬間を思い出すと感情が高まってしまいます。
パネル・HM・サボ・取り外された駅名板とこめぞー君。
「ありがとう札沼線」ののぼり。これでイベントはすべて終了。帰ることにしますが、既に滝川行きのバスが出発してしまっており、約1時間歩いて滝川駅まで行くことにしました。
その道中見つけたのがコチラ。新十津川農業高校園芸専門分会&生活コースの方々が作った、駅名標風の惜別看板。これにはデナさんと2人で驚きました。その後、石狩川を渡り、河川敷のグライダー離発着場を見たり、着陸する瞬間を見たりして滝川駅到着。岩見沢行きの電車に乗り込んで、私はバス乗り継ぎで無事帰着。
最後に、新十津川のイベントなのに、急行はまなすの「のびのびカーペットカー」のクリアファイルを買いましたw
新十津川のイベントでもらった手土産一覧。ちなみに、右下にある「北海道ミニ時刻表」は、上の「のびのびカーペットカー」クリアファイルを買った時に頂いたもの。しかも、これがラスト!うれしいような恥ずかしいような。利用せず、家宝にしてます。真面目に額縁でも買って、その中に保存しようかしらw
以上、10月10日に行われた「新十津川駅89周年記念祭」の模様でした。
最終的に書き終えたのが1ヶ月以上後だとは…忙しさにかまけて、ずーっと放置してましたorz