新特急なすの日和

205系500番台R3編成。この姿が疾走している場面を見ることはできない。(2009年7月18日撮影)

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奔別炭鉱一般公開

いかがお過ごしですか。新特急なすのです。
かなりなご無沙汰ですw
今回は、三笠市幾春別町にある、かつて「東洋一の立坑」と謳われていた奔別炭鉱の一般公開イベント(5月3・4・5日)に行ってきたので、そのレポートをします。

まずは、幾春別町行きのバスに乗って終点まで乗車します。約40分、560円。

乗車したのは2931、E-Defender号でした。E-Defenderとは、環境を守り、持続可能な社会を創る使命を帯びたキャラクターたちです。詳しくはコチラ
みなさんご存じとは思いますが、かつてここには国鉄幌内線(岩見沢~幌内・三笠~幾春別)が走っていました。1987年に廃止となり、今は岩見沢~幾春別間を北海道中央バス・三笠線(系統番号22)が走っています。また、三笠~幌内間は三笠市営バス・幌内線が運行されています。
かつての支線*1の幾春別駅構内跡は、バス停と一般車の駐車場に整備されています。また、ログハウス風のバス待合所が設置されており、中にはトイレもあります。ただ、その他、駅施設の面影らしきものは全く見当たりません。降車後、徒歩で会場へ行きます。

竪坑櫓建物跡。

貯炭ホッパー建物跡。
その後、人数限定の敷地内ツアー(300円)の予約を行い、もらった貸し出し用ヘルメットをかぶり出発時間の11時半に、石炭関連の企業にお勤めの男性ガイドと一緒にツアーがスタートしました。

ガイドツアー

東洋一の炭鉱

まずは、竪坑櫓がよく見えるギリギリのところまで移動。

奔別炭鉱(住友奔別炭鉱)のこの竪坑櫓は1960年建築。当時「東洋一の炭鉱」と謳われ、同時に「今後100年採炭ができる」と言われていました。また、現場で勤務している鉱員や、石炭、採炭機械、ズリ*2を一緒に運搬可能な「スキップ・ケージ巻揚げ方式」と呼ばれる、当時最新鋭システムを採用していたとのこと。

しかし、1966年に(恐らく)採炭中、職員と鉱員合わせて16名が死亡、鉱員4名が重軽傷を負うガス事故が発生。この事故の5年後、経営していた住友の本社から閉山が通告されます。閉山通告の年の10月、炭鉱密閉作業中に炭鉱内に残っていたであろうガスに、何らかの原因で引火、作業員5名が死亡する爆発事故が発生。この事故が閉山を決定的にし(その他、採炭量の維持が困難になったという理由もあるが…)1971年10月25日付で「100年採炭できる」炭鉱(ヤマ)は、操業開始から11年で完全閉山しました。骨組みだけ残す箇所を見ると、いかにすさまじいものだったかをまざまざと感じさせられます。

朽ち行くホッパー跡

続いて、貯炭ホッパー建物跡の近くに移動します。

上部の屋根は、恐らく雪の重みや風化などでグシャグシャになっています。

1階(?)相当のところに貨車を並べ、2階(?)相当の場所に貯めている石炭を、仕切りを開いて貨車に落として運搬するという方法を採っていたようです。

ホッパー建物跡に寄り添うように咲く桜。

反対側にやってきました。

ちょっと見づらいですが、貨物ホームのコンクリ跡です。

投げ捨てられていたドラム缶。一番右の「アクトコール」って何だろう?と思って調べてみると、ポリウレタン樹脂及び塗料に使われるようです。

ホッパー建物跡の内部。無機質なコンクリート躯体が続きますが、改めて見ると自分的には厳かな感じもします。

最後に貸し出しヘルメットと一緒に。以上でツアーは終了。30分とコンパクトでしたが、色々感じることができたツアーでした。

帰りのバスまで2時間弱あったので、更科食堂で昼食をとり、少し周辺を見てから帰ろう、と思っていましたが、ちょうど昼時で長蛇の列。なんだかんだで1時間並び、ようやくご飯にありつけました。

97年続く伝統の味


自慢の「白いそば」こと更科そばと天丼をオーダー。

そばは本当に色白で美しく、そばつゆにしっかりと絡みます。その上、喉越しも抜群でいくらでもいけそうな感じです。天丼の天ぷらの具材はほうれん草のみ。それでも、濃厚なタレが絡んでこれまた美味。もう少し味わおうと思いましたが、バスの時間が迫ってきていたのでお会計をして、退店。

14時のバスに乗って、最寄りバス停で下車し、帰宅。
帰りは、記憶が正しければ1960に乗車しましたが(西工車体の車両だったのは覚えている)この車両、おたもい車庫(小樽)、札幌東を渡り歩き、岩見沢に転籍してきたようです。確かに、岩見沢には西工車体の車両(確か新川からの転属)が数台いますが、中ドア乗車口の開閉ブザーがよく聞く「プー」で、元々いる車両は「ピンポン♪ピンポン♪」なので、やはり新たに直近で転属(トレードかお下がりかはもちろん不明)してきた車両なんでしょうかね。

ではまた。

*1:岩見沢~幌内間が本線で、三笠~幾春別間は支線。ただし、三笠~幌内間は末期の頃は貨物専用線となっていたことがあったらしい。そのため、最近まで岩見沢~幾春別間が本線と思い込んでいた。

*2:関東以南では「ボタ」と言うらしい。