新特急なすの日和

205系500番台R3編成。この姿が疾走している場面を見ることはできない。(2009年7月18日撮影)

アクセスカウンター

三笠・幾春別・桂沢を友人と一緒に車で巡る旅

先日、友人と一緒に、彼の車で外出してきました。メインの行先は、三笠市幾春別町にある三笠市立博物館。それと、昼食はその近くにある更科食堂さん。

まずは、朝食として、岩見沢市民のソウルフードと言っても過言ではない、かまだ屋6条店へ。

私はきつねそばを選択。食券制ですので、最初に食券を購入します。昨今、原材料価格の高騰で食品値上げが続く中、360円で提供しています。天ぷら、きつね、生卵が一緒に入った3Sそば/うどんも410円。以前より多少高くなりましたが、それでも良心的な価格です。つゆとシャキシャキのそば、甘辛く味付けされたおあげがたまらなく美味しい。あっという間にいただいちゃいました。

食べ終わったあとは、三笠市立博物館へ向けて車を走らせます。安全運転を心がける彼は、だいたい制限速度の範囲内で走ります。いつもビュンビュン飛ばす、私の母の運転とは正反対ですw

そして、三笠市立博物館へ到着(外観撮影してなかった…)
この博物館は主にアンモナイトの化石を展示しています。

メインの展示室。アンモナイトの化石がズラリ。

ひな壇状に展示されているアンモナイトの化石。

こちらは、アロサウルスという恐竜の全身骨格。

そのアロサウルスの実物の大腿骨だそうです。Don't touch!
館内を回ると、三笠市生まれの偉大な方の功績を称える展示等があり、一通り回っていると、展示物ではないものに目がいきました。

レトロな字体の自動ドアのステッカー。こちらからは出入りできませんが、思わず撮ってしまいましたw
ちなみに、手のマークにうっすら書かれている「Teraoka」の文字。現在はフルテック株式会社と呼ばれる、寺岡ファシリティーズ製の自動ドアでした。2015年に現社名になっているので、この字体のものや、Teraokaと書かれているものも、自動ドアの更新などで新しいものに交換されているでしょうから、ある意味貴重なものかもしれません。
さて、その後、館内と三笠の自然や樹木のあれこれを展示する別館(元幾春別保育所)に行き、サイクリングロードを兼ねているらしい、野外博物館へ行くことにしました。その道中見つけたのがこちら。

サビが目に見えてわかり、朽ち果てるだけの状態で屋外に設置されてあったもの。恐らく、形状からして炭鉱の坑道内と地上を行き来し、工夫を乗せる列車のようなものだと思います。友人は「ファンタジー感がある」と、色合いからそう言っていましたw

続いて野外博物館手前にある橋から撮影した川の様子。雨はこの日より前に止んでいたのですが、なぜか濁っていました。夜のうちに上流で大雨でも降っていたのでしょうか?
パンフレットの地図を見ると、全体を回ると結構な距離に見えたので*1、途中の旧幾春別炭鉱錦立坑櫓まで行くことにしました。

まずは、幾春別に森林鉄道があったことを今に伝える橋脚の跡。ちなみに、このサイクリングロードもその森林鉄道の線路跡を有効活用して整備されたとのこと。一部でしたが、往時の線路の上を歩いていたことになるのですね。

続いて、幾春別層。生で見られることをオススメしますが、遠目であるものの、迫力ある地層の様子を見ることができます。

木々の間から幾春別層を見る。次に旧幾春別炭鉱錦立坑櫓へ行きますが…

その手前には、ステップの広い木の階段が。普段ラクして移動しているので、ハアハア言いながら上っていましたw

その階段を上り終えると、立坑櫓が鎮座していました。この立坑櫓は、北海道内で最古の立坑櫓とのこと。1920年(大正9年)に完成したとのことですから、今年で完成から102年ということになりますね。

北炭のマークもバッチリです。

続いて、隣にあるレンガ造りの建物の中へ。

中はこんな感じです。この隣には、離れのような建物もあり、恐らく採掘された石炭を貯めておく貯炭場の建物であったと考えられます(建物撮るのを忘れた)
そうこうしているうちに時間は昼。予定していた更科食堂さんへと向かいます。

創業およそ100年ということですから、石炭採掘最盛期の頃の男たちの胃袋も支えていたのでしょう。そんな更科食堂、調べてみると2020年夏ごろに一度閉店していたとのこと。しかし、4代目を募集し、その方が3代目ご主人の指導を受け、2021年に4代目更科食堂として再オープンを果たしたということです。このお店、そばがメインですが、ちょうど「そらちエゾシカウィーク」(10月16日まで)とのタイアップで鹿とじ丼というメニューを出していました。1日限定10食とのことで、恐る恐る聞いてみると、その日はまだ完売していなかったことがわかり、私も彼も同じものを注文。なお、このメニューは「ウィーク」終了と同時に提供も終了しています。

こちらが鹿とじ丼。親子丼の鹿肉バージョンといったところでしょうか。

鹿とじ丼のみ全体。

すべて固まりきっていない、絶妙な固まり具合は最高でした。

鹿肉はほどよい弾力があって、なおかつジューシー。噛めば噛むほど旨味がジュワッと出てきます。味付けもパーフェクト。

これで650円。これまた良心的すぎます。他のところだったら、1000円まではいかないと思うけど、それくらいしてもおかしくないと思います。意外と鹿肉使った料理って高いのでね…いやー、本当に美味しかったです。ごちそうさまでした!!

続いて、以前一度幾春別に来たことがあるのですが(路線バスで)、その時に積雪であまり近づけなかった奔別炭鉱の立坑櫓を見に行きます。

旧奔別炭鉱の立坑櫓。

少しアップで。

周辺と一緒に。

旧奔別炭鉱の説明板。住友系*2の炭鉱として、当時の最新システムで「100年採掘できる」との謳い文句で「東洋一の立坑」とも言われていたようですが、1966年にガスによる爆発事故が発生、多数の死傷者を出してしまいました。「奔別」と勇壮に書かれた立坑櫓の下にある、手前に出っ張った建物は(非常に見辛くて申し訳ないです)その爆発事故で鉄骨の骨組みを残して、すべて無くなっています。事故の凄まじさをまざまざと見せつけられる場面です。

次に、桂沢湖へ行くことに。しかし、新桂沢ダムの建設で桂沢湖がかさ上げになることで、湖を一望できる場所(桂沢公園)が閉鎖になっていました。なので、湖上にかかる国道452号線の橋上から湖の風景を撮影することにしました(車は近くの駐車スペースに駐車)

この橋上からでも、雄大な湖の風景を見ることができました。よかった。

そして、そのあと452号線を進み、夕張(大夕張)を回って岩見沢に帰ってこよう、となって車を走らせましたが、途中の標識で「夕張 36km」の表示を見つけ、これは無理だ!ということになり、安全なところでUターンし、三笠経由で帰ることにしましたw
途中、車内では、酷評続出のホラー映画「それがいる森」の話になりました。彼がホラー映画好きということなんですが(私は観ませんw)レビューがとにかく酷評ばかり、と話してくれました。監督の中田秀夫さんは、あの大ヒットホラー映画「リング」や「仄暗い水の底から」などの監督を務められた素晴らしい人とのことですが、今回は「それ使う?!」といったパンチライン(オチ)のつけ方などをしてしまったがためにこういう酷評だらけの「ヤバい映画」になったのだとか。それを聞いて納得し、やっぱりアイバチャンでもダメなものはダメか…と思った次第ですw

続いて、クロフォード公園へと足を運びます。

幌内太駅の初代駅舎を再現した、売店が入る建物。幌内太駅はその後、三笠駅と改称されました。旧国鉄幌内線の本線と支線が分かれる駅として開業しました。ちなみに、支線の終点・幌内駅の跡地は、現在三笠鉄道記念館として整備されています。

こちらは公園内に保存されているキハ82系。風雨に晒されてサビが目立ってきていますね…とはいえ、往時の凛々しい姿を見られるのは、岩見沢近辺ではここだけでしょう(現役当時のことは知りませんけど…(^-^;)

その後、長時間運転もあって、イオン三笠店で一旦休憩。色々近況を話し合いました。夕飯は、グルメ系回転寿司の一角であるはま寿司に行くことに。

期間限定メニュー・大切り藁焼まんだい。「まんだいって何?」と思い、その場で調べてみると、どうやら深海魚とのこと。また、生態についてはほとんど明らかにされていない、謎の魚だそうです。ハワイや沖縄などではよく食べられている魚とのことで、サーモンとマグロの間とかマグロの赤身のような感じなんだそうな。はま寿司では、藁焼きの良い香りで美味しくいただけますが、いつかお刺身でもいただきたいですね。

シメは「秋の味覚おいもパルフェ」。大学芋やさつまいも味のアイスクリームなどが乗っていて、甘いものに目がない私にとっては最高のメニューでした。しかし、さつまいも味のアイスクリームがとてつもなく硬く、最初に食べようとしたところ、スプーンすら刺さらないほどでした。これには、思わず声を出して大爆笑しそうになりましたw

夕食後は、私を家の近くまで送ってもらって、そこで解散。楽しいひと時でした。

*1:あとで調べてみると、終点までの全長は1.2kmで、三笠市立博物館を起点に往復40分とのこと。

*2:最初は奈良炭鉱というところが建設した模様だが、後に住友炭鉱に売却されたとのこと。